世界が騒ぎだした あなたを愛したから

NEWSの手越祐也くん、西畑大吾くんが大好きな未成年ヲタクが書くブログ。面白いことは書けません。

※完璧なるネタバレしてます 映画ピンクとグレー感想 #ピンクとグレー



1/10 ピンクとグレー見てきました。

公開が決定したときからずっと楽しみにしていて、決まったときは「まだまだじゃ〜ん」とか思ってたけど、主演に裕翔くんが決まって、撮影が始まって、ホームページができて、予告が公開されて、宣伝でいろんなテレビに裕翔くんやシゲが出るようになって、いよいよだなと感じてました。すごく早かった。シゲが原作者としていろんなテレビや雑誌に出てるのを見て、シゲがキラキラと輝いているのをみてなんだかすごく嬉しかったです。


ここから映画の内容についての感想を落としていきます。完全にネタバレです。まだ映画を見ていない方は回れ右してください!!!


























小説と映画ではストーリーの組み立てが違った。

小説は、主にごっちとりばちゃんの幼少期からのことが詳しく書かれているものであり、シゲの洒落た考えで「飲み物」がキーワードのようになっている。
映画は、本編が始まっているようで私たちは最初の62分間、「ピンクとグレーの中のピンクとグレーを魅せられている」という状態になる。そして、映画のラストシーンの撮影が終わった瞬間から本編(現実世界のピンクとグレー)が始まっているような感じなのだ。すごく複雑。正直なところ、この展開は予想がついていた。裕翔くんはごっちでありりばちゃんであるということ。でも、その予想を覆すくらいに裕翔くんの演技が素晴らしかった。
最初の62分間は、ごっちであった。知らないうちに芸能人になっていて仕事がポンポン決まり、それでも元の根本のりばちゃんへの優しさも尊敬の気持ちもなにも変わっていなくて。家で台本の練習を2人でしている時はあんなに楽しそうだったのに撮影の時には別人のようになっているごっちや、新居のことやサリーのことでケンカしたときにりばちゃんに冷たい言葉を浴びせるごっちに涙が零れた。すべてりばちゃんを思っての行動がりばちゃんに伝わっていなくて泣いた。
そもそもね、りばちゃんがこんなにも上手くごっちを演じられるのか!?という疑問が、ずっと私の頭の中にあるのだけどね。だって、あんなにNG連発してしょんぼりしてたりばちゃんだよ!?まぁそんなことはいいんだけど。

そして、グレーの世界では裕翔くんへりばちゃんだった。菅田くんがピンクの世界でしていたりばちゃんそのままだった。芸能界という世界が合わなくて、ごっちの力を借りて生きているりばちゃんだった。
菅田くんも夏帆ちゃんも、ピンクの世界の中とは全く違う人たちで(違いすぎて人間不信になるレベル)、その演技力に脱帽した。


映画を見て嬉しかったことは、ごっちとりばちゃんの高校時代の話が、シゲの描いたthe青春のなんか臭い雰囲気が出ていたことだ。
バレンタインとか恋愛とか思春期とか性欲とか、高校生の高校生らしいところが描かれていてそこが映画の中での笑いというか微笑ましい部分になっていてとても安心した。ごっちとりばちゃんの普段の雰囲気がふわふわと描かれていて嬉しかった。


映画化してイメージがすこし違うと感じたのは、まず本物のりばちゃんとごっちが幼なじみに見えなかったこと。ごっちが大人っぽすぎたと思った。ごっちは芸能界でどんどん先に行ってしまうから、大人っぽくみえてしまうのは仕方ないのかもしれないが、ごっちが私が思っていたよりももっと冷酷に見えた。私の中のイメージでは、ごっちはとてもりばちゃんが大好きで、りばちゃんにあえて嬉しくてりばちゃんに売れてほしくてりばちゃんに自分の死を一番に見つけてほしいくらいにりばちゃんを頼りにしていて。そんなごっちを想像していたのは私だけかもしれないが、とにかくごっちが冷酷に見えて悲しくなった。

あと、小説で事細かに描かれていたごっちとりばちゃんの関係性を表すエピソードがカットされていて悲しくなった。お姉ちゃんを亡くして哀しむごっちに何もしてあげられないりばちゃんや、ファレノプシスを文化祭で歌う2人や、ごっちの誕生日会を楽しむ2人が見たかった。デュポンとラブホのライターを交換する2人のシーンに涙が出たけど、小説を読んでなければこのシーンはよくわからなくて。

もうひとつは、シゲが綺麗に描こうとした芸能界の汚い部分までもが見えてしまったこと。グレーの場面でそのところが見えてしまって、なんだろう。見ているのが辛かった。でもそこがこの映画の中でとても大切なところで、この汚い世界はりばちゃんには合わなくて、ごっちにはなれなくて、そしてりばちゃんの親友というレッテルが貼られた河鳥大は、唯一無二の河鳥大になっていくんだろう。


映画ピンクとグレーは、小説ピンクとグレーよりもりばちゃんが成亮でありシゲアキであった。

りばちゃんのごっちが喧嘩するシーン。裕翔くんが「自分の力でいったいりばちゃんはなにをやってるの?」と怒りや哀しみ苦しみをぶつけるところ。小説を読んでいても「これはシゲがシゲ自身に言っている言葉なんだろう」と思ったけど、裕翔くんが言っているのを聞いてすごく苦しくなった。
NEWSが6人だったとき、自分はグループに何を貢献しているのか、自分には何ができるのかわからず、事務所にも「お前には何ができるんだ?」と言われ、辛かったけどそれがきっと事実で否定することも出来ず、死にそうな気持ちで書いた小説。そのときの腐った成亮が、ピンクの世界のりばちゃんだったしグレーの世界のりばちゃんにも投影されていた。
売れだしたごっちのバーターはしたくないと言ったら「お前仕事なくなるぞ」と言われ、死んだごっちに関する仕事はやりたくないと言ったら「お前ほんとに仕事なくなるぞ。お前は努力してないからな。蓮悟は努力していたぞ」と言われる。その一言一言が全て昔の成亮に当てはまりすぎていた。

でもシゲアキは、自らの手でその腐った自分を捨てたのだ。映画の最後、ごっちの背中を追うのを辞め、新しいりばちゃんになったように。



映画の中のごっちは先ほど述べたように私が思っていたよりも冷酷だったし、りばちゃんは自分のやるせなさを人にぶつけるどうしようもない人間ですこし悲しくなった。


小説と映画の違いはたくさんあって、その違いは私が受け入れられるものではなかった。例えシゲが原作と違うことを悪く思わないでと言っても、私は嫌だと思ってしまう。

でもそれはしょうがないことだし、いいことだと思う。シゲの小説が、一つの小説として成り立っており、映画が一つの映画として成り立っているということなのだと思う。

シゲの描いた世界が、描こうとした世界が、シゲのあの頃の苦しみや葛藤が、たくさんの人たちに伝わりますように。シゲの心にたくさんの人たちが触れてくれますように。